こんばんは。Yukiです
写真は今日の日本語教室です。いつもは上級者クラスで外国人と会話をするのですが、今日は初級者コースで文法を教えてもらいました。前も書いたかもですが、日本語の文法勉強すると、こんな複雑なことを無意識でやっている自分が凄く感じられ、自己肯定感が増します。
日本語教室で私が覚えた英語はconjugationとvolitionalです。
さて、4つ目の課題です。こちらの授業はたぶん一番基礎的な授業だったと思います。SLAの異なるトピックを毎週1つずつ(インプット仮説、モチベーション、臨界期仮説、言語適性などなど)を勉強しました。
課題は1つ自分でトピックを選んで、自分の経験(学習者・教員)をベースに分析をしていくというものでした。
私が選んだのは英語教師なら知らない人はいない(はずの)クラッシェンの唱えたインプット仮説です。私はいつも通りの教員の言語使用の面から分析しました。
インプット仮説を誤解を恐れずに雑に定義すると
「人間は言語浴びまくってればできるようになる」
です。本当はクラッシェンがこの後200ページくらいかけてもっと丁寧に色々書いてくださっているのですが、これはブログなのでこのくらいの定義で許してください
クラッシェンの主張では、
「人間は言語浴びまくってればできるようになるんだから、言語教師は教える言語のみを教室で使うべきだ」
つまり日本で言えば、「生徒に英語のシャワーを浴びせるために英語教師はずっと英語を喋るべきだ」という主張です。
この主張を私の経験、日本の英語教育の歴史、教員の言語使用の観点から分析し、まとめました。
私は高校生の頃まで文法訳読で授業を受けてきました。つまり英語の先生は日本語しか喋っていません。
大学は英文科に入ったので外国人の先生の英語だけの授業も受けました。90分間全く聞き取れず、毎回授業後に帰国子女の友達に宿題を聞くなどして最初の1年は過ごしました。2年生からは大分聞き取れるようになり、卒業する頃には外国人の指導教官のもとで英語で卒論を書けるようになりました。
これを振り返ると、とりあえず日本語だけの授業では英語を使えるようにならない。でも日本語の授業で文法やリーディングを勉強したからこそ、大学で受けた英語のシャワーを処理する基盤ができてて英語力が伸びたのではないかとも言えます。あとは私自身のモチベが高かったので、90分間全く分からん授業にも何とかついていけてたと言えます。モチベが低い人が外国人の英語しか使わない授業に放り込まれたら勉強を継続するのは大変だと思います(もちろん学習者の適性、学ぶ内容などによります)。他にも色々書いたんですが、学習者視点からの結論は「教員が日本語喋っても英語喋っても利点はある」です(私はどんな議論も大体こうやって真ん中に落としちゃいます。自分の確固たる意見?は特になく、どっちもいいところあるんだから両方使えば?がモットーです)
さて、続いて教員視点。現在文部科学省は「英語の授業は基本英語でやれ」という方針を出しています。じゃあ英語でやろう、と言っても、現場には様々な問題があります。受験に対応できないのではないか、結局テストはリーディングと文法なんだから授業と評価がつながらない、クラスに40人いて英語の習熟度に差がありすぎる、そもそも教員のスピーキング力の問題、教員が英語だけの授業のトレーニングを受けていないなどなど…。私も9年間働いてきましたが、色々考えると「英語だけで行うのは普通の公立校では現実的ではない」という結論です。文法や単語なんかは日本語使って教えていいと思います。
という感じで何やかんや書いて、結論はいつもの「できる限り英語を使うべきだけど、日本語の方が良さげなときは日本語使ってもいいのでは?」みたいな感じで落ち着けました。
ここまで書いてクラッシェンの話を一切していないことに気づきましたが、長くなっちゃうのでクラッシェンはまた今度書きます笑