こんばんは。Yukiです
写真は金曜日の日本サークルでの書道教室で書いた私の名前の一部。私を知る方は分かると思いますが、私にしてはうまく書けてますよね!
外国人の中で書道するとあたかもプロかと思われながら書くから、自己肯定感が上がってうまく書けたのかな。これはモチベーションのself-determination theoryのrelatedness(みんなと関わりながら)からのcompetence(さすが日本人、上手!と言われて上手な気になる)なのでしょうか。
さて、ずっと留学期というか旅行記になってたので久しぶりに真面目な話題を
3つ目の課題についてです。こちらは実は12月末に終えているのでもう記憶がかなり飛んでるのですが、ざっくり書いていきます
こちらの授業は社会言語学的な視点から英語を見て、英語教育どういう関係性があるのかを見ていく授業でした。例えば
「英語はどの種類を教えるのがいいの?アメリカ英語?イギリス英語?でもそれを標準って教えると、他の種類の英語が劣ってる感じにならない?てかもはや今の世の中ネイティブよりもノンネイティブの方が英語使う人多いんだから、色んな英語に触れさせた方がいいんじゃない?でもそうするとテストで測る英語が訳分かんなくなるか?書き言葉の英語は文法とかも標準英語に従うのがベースだし。いやでもそもそも書き言葉が標準っていうその前提が…」
みたいなあーでもないこーでもないっていう話を色んなお題でやっていく授業です。
実は私は学部のときもこういう社会言語学的な話題が好きで、楽しんで勉強していました。学部の卒論のテーマも「ノンネイティブとネイティブの英語の先生どっちがいいの?」みたいな感じでした
このネイティブVSノンネイティブも授業で扱われたのですが、日本の例がたくさん出されて私は日本人として恥ずかしくなりました…笑
例えば大学の英語の先生の求人がこんな感じ
「日本人応募資格→IELTSほぼ最高レベル。教員経験10年以上、海外大卒」
「外国人応募資格→アメリカイギリスカナダオーストラリア出身ならビザ持ってればおけ!」
みたいなひどい有り様。どんなに優れた教員でも、ただの外国人の教育素人に負けてしまうのです。外国では、ネイティブだけど黒人というだけで教員として信頼されないケースもあると聞き、日本に限らず世界中で暗に差別を受ける教員はいるそうです
ちなみに私が教員採用試験を受けた自治体も、ここまではひどくないですが当時は「TOEIC900や英検1級などあれば1次試験免除」でした。一次試験は一般教養、教職教養、専門教養(私であれば英語)を受け、二次試験は面接等になります。
つまりこの試験、TOEIC900あれば一般教養と教職教養を知らないただの英語だけできる人でも二次まで行くことができます。そして調べたところ、この形式で受験してる人は全員受かっていたのです。
これが私が学部時代に卒論を書いたきっかけです。「なんで外国人とか帰国子女とか英語ができるだけでこんなに優遇されるんだ。英語を教えるのはネイティブがうまいとは限らないし、何ならノンネイティブの方が学習者に共感できるからいいだろ」と思い書きました。(すごい批判してますが、私自身はこの形式の恩恵に預かり、教員採用試験合格しました…数学が中学で止まっていた自分には助かりました)
ちなみにこういう時の結論は大体「時と場合による」です笑 例えば上級者の先生はネイティブの方がいいときあるけど、初級者の先生はノンネイティブの方がいいみたいな感じ
課題について全然触れずに長々と書いちゃいましたが、ざっくり触れて終わらせます
私が選んだトピックはtranslanuguagingという概念です。ざっくり言うと、「言語学習に使えるものは何でも取り入れよう!」みたいな考えです
当たり前に聞こえるかもしれませんが、実は英語の授業は結構偏っています。例えば英語しか使わない授業がそれですね。学習者の第一言語を使って学びが早くなるなら積極的に使おうよと
あとはやたらと海外のネタばかりの教科書。海外のよく分からないことについて英語で学ぶよりも、日本のことについて英語で学んだ方がインプットもアウトプットもしやすいよと
ちなみに私は前回の課題でも同じようなテーマ「教員の言語使用」を選んでいるので、文献は同じのをかなり使って書くことができました笑
でも最初のtranslanguagingとかの定義のくだりが大変でした。言語を1個しか使わないことをmonolanguagingと呼ぶのですが、過去100年くらいでのこのmono→transになっていく過程を論じ始めたら何か抽象的すぎてよく分からなくなってしまったのです。
以上、3つ目の課題でした。
ちなみに昨日、1学期最後の課題を出し終えました!ついに1学期が完全に終了です。
書くネタはたまっているので、頑張ってまた書きます